安全神話

安全神話って何じゃい?
唐突ながらこんな事を考えてみた
安全神話と付いた時には必ずと言っていいほど
今まで大丈夫だったものが崩壊した時にマスコミが後付で言い出すけど
安全というものは常に危険であると使っている人間が認識をしていない限り
安全に運用は出来ないものである
そこに驕りや怠慢が生じてしまえば、もはやそれは安全に扱える品物ではなくなる
代表的な例が現代社会では車かな?
車は便利で安全な物と言われていたりするが
それは運転者が、ひとつ間違えば人を殺しかねない凶器になると
ちゃんと認識してるから、車は便利な物として扱えてるのであって
その認識が欠如した時に何らかの事故を起こしている
そして何らかの事故や違反を起こした時に運転者は必ず罰を受ける
さてさて安全として運用していたはずの原発の事故の運転者は誰で
どのような罰を受けるのかな?
国民は、ちゃんとその部分は見届ける必要はある